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2015年3月22日日曜日

1万7千年前に先進文明があったということは...

考古学は非常におもしろい。近年発見されている多くの古代遺跡に関する情報から,我々は今までの概念をひっくり返さなければならない,と感じさせられる。 その代表的な遺跡のひとつが南米ボリビアにある,プマプンク遺跡だ。


他の遺跡とくらべて圧巻の特徴は,石材の究極の加工技術にある。


特に硬い花崗岩質のこれらの岩石を,寸分たがわず直角に加工しているのは驚異だ。現代の先進技術者がレーザーやダイヤモンドカッターの技術を用いてもこれほどの精度は得られないという。


しかも,上の写真のように,穴を貫通させたり,小さな(5mmほどと思われる)穴を一定間隔で正確に開けたりと,電動工具無しではありえないような加工がみられるのである。 

しかしながら,我々がもっとも驚愕するのは,4000mの高地にあるこの遺跡ができた年代である。考古学者のアーサー・ポスナンスキー(Arthur Posnansky)によれば,この遺跡はなんと今から1万7000年前に興ったとされているのだ。このことは非常に興味深いし,それ以降の“有史”に与えた影響を考えると歴史観が大きく変わるのではないだろうか。

  1万7千年前に先進文明があったならば
1万7000年前といえば,「後期旧石器時代」とされており,当然“有史”以前である。聖書のアダムとイブの物語よりもはるかに昔と言える。そのような時代に,現代の我々でもマネのできないような加工技術を持った先進文明があったということは何を意味するのだろうか。 

先進文明があったということはすなわち,高度な意思伝達能力を持ち,都市計画,物流,経済システムを持っていたと考えられるわけであり,そこに住んだ人々は高度な精神性を有していたことがうかがえるのではないだろうか。 

それらの人々は一度に滅んだのだろうか。それらの人々が散り散りとなり,プマプンクの文化が地のあちこちに散らばった可能性はないのだろうか。 いずれにしても,聖書が記されるはるか前に,こうした超先進文明があったならば,それよりはるかのちに記された聖書中に一定の科学的合理的記述がみられても不思議はない。

むしろ,聖書の成立そのものに,超古代文明の考え方や願い,希望が託された可能性まで想像させられる。 聖書の神に限らず,“神”とあがめられる古代社会の絶対的な存在というものは,もしかしたら超古代社会の先進社会からの遺産なのではないかと思えてくる。

聖書をはじめとする古代の記録に超古代文明人がかかわっていたとしたら,彼らはどんな意図で後世の人類にメッセージを残そうとしたのだろうか。文明はいずれ滅びる(彼らの文明は実際に滅びたのだから)という一種の終末思想を,自分たちが得た教訓や後悔と共に,悲劇が二度と繰り返されないようにと願って後世を教育しようとしたのだろうか...。

 要するに,“有史”というものを当然のものと思わずもういちど,古代から超古代まで,歴史的事実を確かめる必要があるのである。


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